ウェイクアップ!ネッド
… by K.I.


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原題:Waking Ned Devine
監督・脚本:カーク・ジョーンズ
出演:イアン・バネン、フィニュラ・フラナガン、デビッド・ケリー、スーザン・リンチ、ジェームズ・ネスビット
撮影:ヘンリー・ブラーム
音楽:シャウン・デイビィ
美術:ジョン・エブデン
1998年・イギリス

おじいちゃんがバイクで、走る、走る。
アクション映画張りに疾走。ではなくて、とっても危なっかしく走る。速度が出ているはずはないのに、あのスピード感、緊張感。あれでもし転んだら?・・・
男はみな、いや男でなくてもあの場面ではつい“余計な”心配をしたりして、おじいちゃんに声援を送るのです。
この映画、映画好きな人だったら、かなりの人が映画館で見ているはずです。口コミでもしっかり宣伝されたでしょうから。

余談:売れればそれでいいのか・・・テレビでの映画の宣伝、あれだけはやめて欲しい。いい作品も陳腐に映るから。アメリカの俳優をわざわざ日本まで呼んで『リング』を炎の中に投げ入れてみせる。それを見て沸く観衆。子供じゃあるまいし、なにをかいわんや。俳優はスクリーンの中でいい演技をしてくれればそれで結構。
作品を映画館で見るかどうかは、わたしはだいたい映画館で『予告編』を見て決めます。さもなければ、おすぎの批評を参考にします(最近はKBCラジオでもやってますね、午後の「パオーン」で)。「全米歴代ナンバーワン」という文字がスクリーンに躍るのを見るとつい「映画好きを舐めているのか?みっともない」とため息をつきたくなりますが、出来、不出来がだいたいつかめるので役に立ちます。
かといって予告編をいつも見るわけではないから、良質な外国作品の情報・公開は少なく見逃すことが多い。国内ものは役者の演技力がつい気になってしまう・・・『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのような正統派娯楽ものに極端に人気が集まるのも当然です。

この作品は思いがけず出会った宝石のような作品でした。この作品を映画館で観ることができて、幸運でした。

冒頭書いた場面は、この作品唯一の“アクションシーン”です。ワイヤーなどいらない。
あらすじは「南アイルランドの寒村で起こる“宝くじ騒動”を巡る村人たちの物語」です。
まず何より、背景となる風景が圧倒的に地味なのが特徴です。ほんとうのアイルランドなのかどうかは調べていませんが、映画向きの見栄えがする場所を選択したのではなく、この作品に見合った風景を探したのは間違いないでしょう。さびれた感じの、かといってうらぶれているわけではない、ちゃんと人が住んでいる感触が伝わる村の風景は、登場する人物像と展開される話にぴたり合っています。石でできた家が質素で。LS−3/5Aなんか、いい音で鳴りそうです。今の日本特に地方都市ではこんな“風合い”を感じる家のある風景は見ることができなくなりました。
〜建て売り住宅が連なる日本のベッドタウンは夜ともなると無機質な不気味ささえ漂っています。顔の判別にも不自由するその薄暗がりの中に突然現れる、歩く人々。地面がアスファルトだし、ビニールのトレーナースーツなぞ着て歩くものだから、歩く音さえ不気味です。彼らはいわゆる『速歩』をやっていて、健康のために、という意識がそうさせるのか、妙に歩き方が堂々としていて、一様にフォームが人工的なのです。歩幅は正確で、ひどい場合は腕なんか90度に曲がっています。仕事を終えて帰宅しているときあれが正面からやってくると、冗談ではなく、わたしは「薄気味悪いなー」と感じてしまうのです。
健康のため?・・健康の意味とは何でしょう。日の光を浴びることなく、風や草木の匂いを嗅ぐこともせず、町の風景を楽しむでもなく、すれ違う人の表情もわからず見えない汗を流しながらああやって日がすっかり暮れてから歩くことに何か健康上の意味があるのか。

ちょっと話がずれましたが、この映画を思い出していて、ふと、作品から感じる暖かさとは全く逆の、寒い住宅街の光景を思い出してしまいました。

主役は老人です。この設定でアメリカ映画だと普通、やたら『人生』を感じさせるセリフを多用したり(陳腐な作品だとたいていセリフ過多症に陥っています)、いかにもな臭い演出などが想像されます。でもそんな心配は無用。老人をダシに使った良質のコメディですから。しかも、イギリス映画です。三谷幸喜作品にふと感じるアメリカ風・アニメ感が嫌いな人も、ジム・キャリーを生理的に受け付けない人も、心配無用。ふざけた態度で軽薄な演技をしている場面は皆無です。あえて言えば、これが本物の『シチュエーション・コメディー』です。

私が気に入っている場面がいくつかあります。
最後の場面。男たちがNed Devineに祝杯を捧げるあの綺麗な場面。映画でしか出会うことのできない印象的な光景です。
この場面で、音楽が最高にいい。地唄と言えばいいのでしょうか。土地に根付いた伝承歌が持つ質素な魅力が、ラストシーンを邪魔することなく、見事にサポート。映像美とカメラワークも、派手さはなくとも観る側の感情を裏切りません。ホームシアターを揃えている人にとっては、この作品のことを思い出したときに自慢の音と映像でこの最後の場面は必ず見たくなるはずです。はっきり言っておきますが、小さいテレビだけでの再生では魅力半減どころか、1/10くらいでしょう。

後半、唯一といっていい緊張が走る場面。“都会”を象徴している来訪者の出現を前にして、あの絶妙なユーモア。
ここでは『音』はすくなく、くしゃみと、送辞の言葉のみ。この重要な場面での各俳優の確かな演技でこの作品はコメディーを超えた高い質感を獲得しました。

アイルランドの音楽が闊達に演奏され、村人たちの感情があふれる酒場の場面。あの黒いビールは当然『ギネス』でしょう。おいしそう。
“舞う”いじわるばあさん(古いな)。ジプシー・バイオリンとはまた一味違うバイオリンを使った、あの粋な演出。コッポラの『ゴッドファーザー』(ひょっとして若い人でこの作品をしらない人、いるかもしれませんね)の一シーンを連想して対比したのは私だけでしょうか。パートUだったかな。イタリアらしい、オペラの使い方が秀逸でした。あれを意識したとすれば、とんでもない洒落っ気。真偽のほどはどうでもいいのですが。

映画には絶対にネタをばらしてはいけない作品があります。
この作品はそれらの中でも、とびきり、です。(了)