女の一生 二部・サチ子の場合 / 遠藤周作(著)
… by K.I.
私の世代はパソコン世代ではなくテレビ世代。たまにぼーっとしたときなど何気なくテレビを見ることはよくあります。
そこで、最近驚いたこと。「元カレ」「元カノ」という用語があるそうで、以前交際していた人と別れたあとでも親しく関係を続けることがあるとか。なにぶんテレビの中の世界なので真偽のほどはわかりませんが、このことを知ったとき、私は唖然としました。理解できなかったのです。別れた後になお、相手と普通に会話し、ときには行動を共にするという感覚が。きっと、テレビのことだから、面白おかしく誇張しているだけなのかもしれません。
お互いの想いが深ければ、若いふたりが別れるかどうか、ということは当人たちにとっては重大なことであるはずです。もう二度と会うことはないかもしれないのですから。また、ひとりの人だけを想い、交際するにはそれだけ強い動機も必要です。それだけの想いがないのだったら、あえてひとりの人だけと交際する理由はないし、そういう薄い関係を“恋人どうし”とか、“つきあっている”とは言いません。
これからの若いひとたちは、一体どうやって“想い”を深めていくのでしょうか。ひょっとして、顔の見えない、相手の筆跡のくせもわからないメールのやりとりで大切な“気持ち”を伝えるのでしょうか。だとしたら、それは寂しいことだと私は思うのです。
サチ子と修平が思春期を生きた時代は太平洋戦争の最中、ふたりはいわゆる最後の戦中世代です。今でもこの世代は健在ですが、サチ子と同様な体験をした人が長崎には多くいます。いや、いるはずです。私の親戚にもいますが、私は“その”体験談を直接聞いたことはありません。なんとなく、聞くのがはばかられるのです。恐らくこの世代、特に長崎に当時いた人たちは、これまで多くを語ってはこなかったような気がします(あるいはこれからも)、一部例外を除いて。それは長崎の人特有のおとなしい気質がそうさせているような気もするし、あの土地の持つ優しさが、声高に何かを叫ぶことを抑えているような気もします。街のどこからでも山が見え、海の風を感じ、川の流れを感じるような、小さな長崎。
福岡に生まれて初めて引っ越して来たとき、私は小学五年生でしたが、何よりも先に、「何と殺風景な街だ」と思ったものでした。
原子爆弾の投下された記念日、長崎と広島では追悼式が毎年催されます。広島の市長の追悼文は政治色が濃く、提言型に聴こえます。わたしには。今は随分印象が変わりましたが、それに比べると昔の長崎市長の追悼文は、祈りの感情が大事にされていたような気がします。
同時にそこでは中央の政府のお偉いさんもなにがしかを述べるのです。が、この内容、姿勢が、完全に“お客さん”のそれなのです。東京は史上稀に見る無差別爆撃を受けた都市のひとつであり、長崎と広島もそうなのですが・・・。なんとなくよそよそしいというか、場にそぐわない感触があります。この人はひょっとすると、自分のことを来賓と思っているのではないだろうか。そんな疑念が消えません。だから言葉が上っ面のものにしか聞こえないのです。市長のそれと比べると。
原爆と言ったって、しょせん、田舎町の体験にしか過ぎない。その土地を知らない人には、真の共感を求めてもむなしい。だからこそ、ジョン・レノンが歌ったように、「Imagine」が鍵なのです。この小説を読むにあたっても、同じことが言えます。日本人はまだ、キクや清吉、サチ子や修平に共感できるのかどうか。
昔こんなことがありました。小学校の修学旅行で福岡から長崎へ行ったとき、私にとってそれは久しぶりに帰る故郷への懐かしい旅行でした。が、同級生にとってはそうではなく、立ち寄った昼食屋で見た観光客向けの『ミニ・蛇踊り』を珍しそうに「あれは何だ」と意味もわからず眺める級友を、私は「ああ、あれを蛇踊りなのだと勘違いされるとしたら、悲しいな」と思いつつ眺めていました。
同じ旅行で、『長崎国際文化会館』(現:長崎原爆資料館)を訪れたとき。わたしは小さい頃から何度も母に連れられて(母も投下当時市内の防空壕にいました)よく知っていた場所だったのでなんともなかったのですが、同級生たちのうるさいこと。いちいち展示物を見て驚いています。「なんだ、そんなことで驚くのか」と少しがっかりしました。彼らが騒ぐ分、「忘れるのも早いだろうな」と思いました。
わたしは、映画『はだしのゲン』を見て、いよいよ爆弾が投下されるというときに興奮してしまって顔を手で覆いながらキャーキャー騒いでいた同級の女の子たちを思い出していました。
だから、思うのです。遠藤周作はあえて長崎の原爆投下後のサチ子とその周辺については詳しく書きませんでした。この行間の部分、私は充分、想像することができましたが、資料館さえ知らない人にとっては、あるいは、黙して語らない風の当事者たちを知らない人が行間にあるものをどれほど想像できるのだろうか、サチ子の沈黙を理解できるのだろうかと。
『一部・キクの場合』では、あまりにも拙く純朴過ぎる浦上のキリスト教徒たちの信仰の潔さとそれゆえの苦悩と、非・切支丹を自認する人々の、宗教性無きゆえの苦悩や愚かしさ、キリスト教弾圧に絡む当時の日本対外国勢の構図、それを超えたキクの痛切な愛を描いて遠藤の筆致は冴えましたが、この二部では更に鋭く、キリスト教徒であるがゆえの青年の純真で深い葛藤と、『キリスト教会』自体の矛盾、存在意義そのものを問う静かな迫力があります。
あるいはまた、人の思想に国家が干渉する様、それに抵抗できない弱い民衆、手先となる憲兵や警察。
そして、キリスト教徒として生まれながら“神”に背くひとたち・・・。
修平が告白する『鎮魂歌』の章は圧巻です。
また、同時進行の形式でアウシュビッツの収容所とコルベ神父の話にもかなりの力が注がれています。
キリスト教を胡散臭いと思う人やコルベ神父のことを知らない人は一度この小説を読むことをお薦めします(私の家は浄土真宗です)。
『悩み』の章より以下抜粋:
〜修平の質問に、杉井は聖戦論という説を唱えたヨーロッパの神学者の話をした。その神学者によれば、それが神と地上の正義を守る時には、戦うことは許されるという説を唱えたのだった。
「そいやったら、今度の日本の戦争は正義の戦争ていわるっとでしょうか」
「戦争に正義も不正義もあるものか」
ふたりは砂糖のはいっていない紅茶をすするながらいつまでも話しあった。話しはいつまでたっても円周を描くだけで根本の疑問に何の解決も導きはしなかった。〜
(了)
※1 上記画像は初版本(朝日新聞社刊)。2004/06/12現在は文庫本で新潮社が出版しています。