ローゼンクランツ NIAGARA Jr.
… by K.I.

画像:http://www.rosenkranz-jp.com/より引用
先日、ローゼンクランツの新作電源タップ:NIAGARA Jr.をアートクルーよりお借りして試聴することができました。ちなみに現在使用中の電源タップはオーディオ・リプラスのSBT-4SZです。
SBT-4SZ
まずSBT-4SZをなぜ私は選択したのか、という理由ですが、それはいたって単純でした。
「NIAGARAと比較したとき、NIAGARA購入までの“つなぎ役”としての使用に充分耐えうる音質、能力があり、かつコスト・パフォーマンスに優れているもの」という条件を満たしつつ、私の好みに合う電源タップを探したとき、SBT-4SZが最適だと試聴の結果判断したからです。もちろん、NIAGARAとの比較を厳密にした上での判断でした。
SBT-4SZのマイ・システムにおける再生ですが、一言でいうととにかく輪郭が明快でくっきりとした音像、高いS/N感によるどこまでも透明な空気の描写、それらを基盤にした、音に勢いと芯のある再生です。高域は鋭くかつ明るく、低域は素早く反応して、量感に頼らない。この中間に中域が程よくバランスしているのが特徴です。とにかく、マイ・システムに組み込むとエネルギーの塊のような再生になります。
例えばフォルテ・ピアノやチェンバロ(ドイツでの名称。フランスではクラヴサン、イギリスではハープシコード、イタリアではクラヴィチェンバロ)の再生では、高域の繊細で鋭いチェンバロ特有の倍音表現が見事で、鮮やかさと打鍵の力強さを感じさせる再生になります。チェンバロは大人しい楽器で単調で地味だと思っている人がいるとしたら、それは間違いです。システム次第です。
一方チェロでは低域が余計な膨らみを一切見せないため、ふっくらした低域に慣れた人は違和感を覚えるかもしれません。音が出ていないと。SBT-4SZの低域表現は独特で、オーディオ的ふくらみ感ではなく、音階を厳密に聴き分けることができる表現です。
一方合唱では、すっきりした明るさを基本とする再生です。
特徴がはっきりしているだけに、聴く人によって好みは分かれそうな、それでいてどんな機器を相手にしても、しっかり鳴らせる高い実力を持った電源タップであると思います。TERAと組み合わせても、中程度の音量だと時々予想以上のエネルギーが不意に直撃するので、ぼーっとしてたら殴られてしまいます。

画像:http://www.audio-replas.com/より引用
Jr.の実力
対してJr.による再生では、バランスが明らかに違います。ローゼンクランツ特有の、ふっくらとした柔軟な中域がまず何よりも耳を奪います。そしてすぐ、低域方向のエネルギーバランスが強いのがわかります。例えるなら、柔道の山下、相撲の北の湖並みの腰の安定感、強さ。これはまさに、NIAGARAの直系。
ボーカルはこの豊かに広がる中域の空間の中にぽっかりとさりげなく浮かぶ印象。音像は輪郭を強調するというより、輪郭は周りの空気に溶け込み(この溶け込ませ方が絶妙!)、かつ微妙に芯を太めに描くことによってリプラスとは正反対のアプローチで実在感を出し、歌手のいるスタジオやホール全体を歌で満たすような表現をしてきます。場の空気の描き方が基本的に濃厚な雰囲気で統一されています。
低域はそれを更に太く濃厚にした感じ。エネルギーバランスはほかでは聴くことができないローゼンクランツ・トーンの低域を中心に組み立てられています。SBT-4SZよりも歌手の年齢が2〜3歳年上になる印象。
普通ここまで低域が骨太だと、中〜高域はどう聴かせるか難しいのでは?と思うんですけど、その種の違和感を心配する必要はありません。
対して高域方向は、SBT-4SZと比較すると控えめ。弦楽器の高域の倍音は解像度で勝負するのではなく、艶で勝負しているよう。高域のシャリシャリ感を欲する人の場合は、システムによっては更にチューニングを必要とするかもしれません。ただ、高域が“出ていない”というのとは違います。リプラスとは聴かせ方が違うというだけの話です。バイオリンで比較するとよくわかるんですけど、SBT-4SZで聴くバイオリンの高域は、実際にステージに近いS席で聴くとき感じる鋭い音がストレートに飛んでくるのに対して、NIAGARA Jr.ではS席中央の感覚に近く、弦の艶とバイオリン特有の中・低域(胴鳴り)を心地よく聴かせることに長けています。
短時間(2〜3日)での比較でしたが、電源タップによってこうも雰囲気が変わるということを、改めて思い出しました。
ところで、『感じたままに』という方針ですべてのコラムを書いているのに、ひとつ肝心なことを私はあえて書いていません。一体どちらの方が、好みなのか。
実はこれが、相当に難しい比較なんです。強いて言えば、このクラスの音質であれば、どちらも私の好みだと言えます。オーディオに関しては私はこれまでわりと簡単に、好き、嫌いを判断してきたように思います。そしてそれは村正が試作品として成長過程にあったという事実と大いに関係していたとも思います。
昔の村正だったら、間違いなく、Jr.の圧勝だったはずです。なぜならJr.は昔の村正にはなかったものをたくさん供給してくれるからです。でも今は、つなぎ役であったはずのSBT-4SZを前提としてチューニングを進めた結果、システム全体が投資したコストに対して納得のいく仕上がりになっているせいか、Jr.による再生との違いを“差”だとは感じなくて、むしろ“違い”と感じるのです。
これには理由があって、今の私にとって、Jr.がいいかSBT-4SZがいいか、そこだけの比較は意味がないんです。満足のいく再生を得るために、たとえば将来DAコンバーターに何を起用するか、その場合音はどう変化するか、デジタルケーブルの選択はどうか、スピーカーのインシュレーターは最終的に何になるか・・・。
そうしたいろんな要素の中のひとつに電源タップの選択もある以上、単純にどちらの方がいい製品であるとは言えないのです。たとえば、タップにJr.を使わなくても、村正にBIGを履かせるだけで、ローゼンクランツ的バランスに再生が激変することは実証済みです。その場合、タップがJr.でなくても、SBT-4SZでも適役であるかもしれません。TRIANGLE
POWER6や、SBT-4SZ・HGという選択も、私にとっては決してないとは言い切れません。
確かなことは、どの電源タップを使うにしても、わたしは自分のイメージする方向へと全体のチューニングを進めるでしょうから、リプラスの音や、ローゼンクランツの音“だけ”では、満足はしない、ということ。
ショップ(アートクルー)でいい音を聴いていると、自然と音の好みが自覚できるようになるんですね。
少し話がずれてしまいました。
NIAGARA JR.の電源タップとしてのわたしの主観的評価は、
@コスト・パフォーマンスは恐ろしく高い(この価格帯では恐らく断トツのトップ)
A中・低域のほかでは得られないふくらみ感、音場感、エネルギー感は貴重
B雰囲気を感じつつ同時に自然なエネルギー感も乗る再生が見事。
Cスタックスとの相性は完璧
というところです。欠点を探すのはとても難しい。
ただ、SBT-4SZ、侮り難し、ということも付け加えておきます。いきなり、あの孤高の存在、NIAGARAと比較したばかりに、このタップの実力を大いに侮っていたようです。
もう少し詳しく表現すると、SBT-4SZのエネルギー感は常にストレート。曇りを嫌います。透明感にはこだわりを感じます。このすっきりした爽やかなそのくせ強力な再生に慣れてしまったら、他のタップはちょっときついのでは?
一方、Jr.のエネルギー感は、鋼鉄の球を鹿の皮で包み、それを皮の塊だと思って木槌で叩いた瞬間、手に伝わる感覚から「これはただごとではないものが入っている」と知らされるもの。しかも腕がしびれた感触は長くリアルに残ります。SBT-4SZでも同じ感触はありますが、こちらには鹿の皮はなく、腕を保護してはくれません。こちらは衝撃に反応する神経の伝達が速い。SBT-4SZの表現を気持ちいいと感じる人は、Jr.の中・高域に更なるパンチ力と切れ味を欲するでしょう。でも、この価格帯で音楽に雰囲気を求めたい人は、Jr.を選ぶでしょう。
いずれにしても、正反対の方向性を持つ電源タップがあるということは、ファンにとっては大変ありがたいことです。
Jr.の音を聴けば、10万円クラスの電源タップがシステムに及ぼす影響力を“知らなかった”人はびっくりするでしょう。数十万円のアンプにもできないことを、わずか10万円台の電源タップが軽々とやってのけているのです。
意識革命
その革命は、じつはもうすでに以前から、深いところで進行中でした。
初めてアートクルーでローゼンクランツの新作・NIAGARAの話を聞いたときは、その価格にまず注意を奪われていたのですが、実際に音を聴いたとき、その“パーツ”の域を超えた圧倒的な存在感に、「これはそのへんのアンプやスピーカーよりよほど優れた作品である」と思いました。
それまで私は、電源タップはあとから余裕のあるときに購入すればいい、とりあえずオーディオ用の表記のあるものを何か使っておけばいいか、くらいにしか考えていなかったのですが、自分なりにいい音を追求したいのだったら、それは間違いだ、ということに気付いたのでした。
まず、電源ありき。
CDプレイヤーやアンプ、スピーカーの真の実力を引き出すためには、この考えは欠かせません。たとえ私のようにコストパフォーマンス重視でシステムを組んでいても。いやむしろ、価格に関係なく、オーディオの基本を踏まえたちょっと気の利いたシステムを組み、セッティングし、チューニングを施している場合、電源まわりの整備はより大きな成果となって自分に返ってくるでしょう。
NIAGARAは、この部分にもちゃんとオーディオとしての“主張”を乗せることができるということをとんでもない音質によって証明した作品でした。その直系が優秀であるのは、当然でしょう。
電源タップの世界は、この NIAGARA
Jr.の登場によって、オーディオとは何かという問いをファンにつきつける、その最先端に位置したとわたしは考えます。電源タップの世界では、ブランドとして有名かどうか、などに意味はない。名前に頼った商売をするブランドがあれば、たちまち(NIAGARAを持ち出すまでもなく、Jr.ひとりに)駆逐されてしまうでしょう。
NIAGARAの価値をきちんと客観的に評価しているのかどうか、私から見ていまひとつその態度に疑問が残る“業界誌”がこの作品をどう取り上げ、どう評するのかはしりませんけど、これは『ハイエンド主義者の贅沢品』扱いされていた高音質電源タップの意味を根底から変える作品です。(了)